Money – L’argent-
子供の頃、近所の人が畑の収穫の度に、新鮮な野菜をくれました。
みかんの収穫の時には、みんなで手伝いに行き、ご褒美にみかんをたくさんもらいました。
釣りに行って、たくさん釣れたらご近所におすそ分け。
暑い夏、ご近所の人たちは夕方になると前の道路に水撒きをして、
ベンチを出して、夕涼みをします。
たまに遅くまで近所のおばさんが座っていて、中学校の部活の帰りに、
おばさん、「もう暗くなったよ、今日はどうしたの?」なんて声をかけると、
おばさんが、「これでジュースでも買っといで」って100円くれて、
自販機でジュースを買って、ベンチのとなりでおしゃべりをします。
お盆とお正月はご馳走が食べられます。器も違う。家族みんな、楽しみ。
みんな揃って、父親がいただきますっていう。
貧しいマッチ売りの少女の話。
少女がマッチを一箱分すべて壁でこすったのは、
自分を愛してくれた唯一の人、おばあちゃんと一緒に行くためでした。
私たちが子供の頃には、隣のおばちゃんにもらった100円は、
おばちゃんとおしゃべりをするためのものでした。
地域には、マッチ売りの少女が望んでも手に入れることができなかった、愛が溢れていました。
おそらく、欧米には、日本のような愛に溢れた地域社会はないでしょう。
どちらかというとご近所をリスペクト。お互いを尊重して、よい距離感を保ちながら、
よい関係を築いていく。
でも日本では、私が子供の頃は、悪いことをたくさんして、ご近所さんにたくさん
怒られました。そうやっていろんなことを学んできた。
ご近所さんだけではありません。電車の中でもいろんな人に怒られました。
きっと、欧米では冷ややかな目で見られるだけだろうな。
フランス映画のL’argent
トルストイの小説をもとにしています。
お金が愛する娘と妻を奪います。
お金が自分を変えてしまいます。
同じくフランス映画のSerie noire
お金に翻弄される人生。
主人公が殺人を行うまでの葛藤が描かれています。
人生は生と死です。
生きている間に、愛であふれていることほど素晴らしいものはありません。
愛は、地球の愛、人の愛、なにもかもです。
お金に翻弄されることほど虚しいことはありません。
L’argentとSerie noireからわかるのは、お金に対する欲望は、愛を犠牲にするということ。
衣食住足りて礼節を知る。
お金っていうのは、まずは生きるために、
その次に礼節を知るために必要なものです。
欲望の先に愛があるでしょうか?
欲望の先にあるのは欲望だけです。
だから世界の格差はどんどん広がっていく。
地球の愛を資本が破壊していく。
マッチ売りの少女は1845年。私はまだ生まれていません。
Série noireは1979年。私は3歳。
L’argentは1986年。私は10歳。まさに、地域の人たちの暖かい愛に包まれて成長していた時。
人々は、本当に大切なものは何か、とっくの昔に知っていました。
時代が変わっても、失ってはいけないものがあります。
手を伸ばせば届く、輝いて見えるものには手を出すな。
愛ある人生を過ごす上での鉄則だと思います。
感謝。